シナの詩、古き佳き。
巧笑(こうしょう)、倩(せん)たり
<口もとがキレイで>
美目(びもく)、盼(はん)たり
<瞳がハッキリしていて>
素(そ)を以って、絢(あや)と為す
<その衣は、白で際立つステキな絵柄>
美しい女性(ひと)を褒めたたえた詩。
「詩経」の中にあったらしいが、現存する版には見当たらないそうだ。なのにどうして、このフレーズだけ今に伝わっているのだろう?
「論語」の中の孔子と弟子(字(あざな)は子夏、名は商)の会話に出てくるから。(八佾第3の8)
この逸話、一を聴いて十を知る、洞察力の優れた弟子との会話で、とてもハッピーな孔子さんの姿が浮き彫りになっています。
子夏、問うて曰く: 「素を以って絢と為す」とは何のことですか?
子、曰く: 絵のことは、「白きを、後(あと)にす」
子夏、曰く: 「礼は、後か」
子、曰く: 私を奮い立たせてくれるね、商(子夏)や!初めてだ。一緒に詩を語ることができるなんて。なんと嬉しいことよ!
(『われを起こす者は商なり。始めてともに詩を言うべきのみ』)
「衣は、初めに彩色して、最後に白色を入れて、模様を仕上げる」と孔子が子夏の質問に答える。
<白きを後にす>という解答の簡潔さと、喚起されるイメージの鮮明さに打たれて、子夏が悟る。
「<礼>も、親孝行や仲間を大事にすることが出来て初めて、身に付くんですね」
「ヨッシャ―ッ、それでこそわが弟子だ。ともに詩から学べるとは、こんな嬉しい事はない」
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