共時する遠朋

ユングシンクロニシティ共時性)を勉強しなくっちゃと思い定めて、アマゾンで一冊買って、冒頭部分や河合隼雄先生の解説文をながめていたら、易経の話(神託や予言の作用原理としての共時性)がでてきて、ああ因果律支配下にない共時性ならさもあらんと思う反面これじゃ自分が科学的だと思い込んでいる人たちからはきつーく批判され続けただろうなと要らぬ同情をつつ、強面の内に潤った魂を持っていた(ような印象の)孔子さんが(四書五経のつながりからだろうけど)思い出され、その流れの中で遠方の朋(とも)が訪ねてくれたことの喜びを詠じた彼の気持ちを思い浮かべるに至った(記憶を遡るのは大変だけれど、だいたいこんな風な意識の流れだったと思う)。これ(論語学而第一)ってもしかしたら、遠く離れていた古くからの友人に久しぶりに会えたというのではなくて、意見が合うなんて全く思っていなかった人と或る瞬間突然同時に一つの真理についてその最深部まで意味を共有できた!というような状況を驚きをもって讃えているのでは?だから「自分にとって考えのかけ離れた遠い人だとおもっていたのに実はそうでなくて友だった」てこともあるのかな?・・・で、それが共時性となんの関係があるかと問われても、意識の流れの行きがかり上思い浮かんだことなので、なんとも言いがたし・・・・



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