ロジックの中の感性


ブラームス室内楽を聴いてて、思った。


今時の演奏は演奏者や指揮者の力量に負うところは多い。タイミングの的確さといい、テンポの絶妙さといい。とはいえ、それらを生み出した大元の多くは、3Bやハイドンなどドイツ語圏のロジカルな精神たち。ロジックの中の感性、あるいは、感性の中のロジック。


そんな不思議さを思っていたら、紀元前6世紀(ブッダソクラテスの同時代人)の隣国の聖人、孔子さん(孔丘)のことが頭に浮かんだ。彼は倫理の人だけけれど、古代シナの音楽と詩を集大成した感性の人でもある。


強面の男たち。彼らのハートを震わせ、潤わせたのは、やはり女性(夢のような面影だけのことも含んで)の力があったのでは?ブラのクララやべトのテレーゼ、とすると、丘さまはどんなひとを想っていたのだろう?


ref.[fb・2011/07/06]