ふたつの夏とふたつの冬


今度の震災から2ヶ月たったころ、都内の年長の友人が、われわれ日本人がこれからどんな国を望むかは二度の夏と二度の冬をすごしてからでないと分からないよ、と静かに話してくれたことがある。

そして、今や僕たちは、一つ目の夏の経験に踏み込んだ。


「政治家が・・・、電力会社が・・・」ではなくて、日本に住むわれわれ一人ひとりがどうしたいかが問われる。自分の国が沈むのは悔しい、意地でも幸せになってやる、自分の子供たちの未来だけは確保する・・・・いろんな思いがあるはず。

この夏が過ぎれば直ぐに冬がきて、二つ目の夏冬だって、あっという間だ。その間に、僕たちは(少なくとも僕は)どれだけ感受性を高めて、どこまで決断できるだろう。


阪神淡路大震災のあと、皇后さまが被災地に皇居の水仙の花もって見舞いに行かれた。16年後、慰問で仙台の宮城野区を訪ねられた皇后さまが(今度は)津波に流された自宅跡で摘んだという一束の水仙を現地の女性から手渡され「本当に頂いていいのですか」と大切に受け取って、帰りの自衛隊機の中でその小さな花束を握り締めておられたという逸話を岩波の「図書」の今月号で読みました。

16年の年月と列島の東西を隔てる距離と一度も逢ったことのないだろう両被災地の人々との(僕らの感受性では到底及びようもない時空を隔てた)このような交感が、静かな確かさで起こりうるこの国には、一輪の花、遠く霞む山影、それだけで多くを想い深く省察することのできた人々がたくさんいたのです。


自分の人生は、周囲あるいは誰かほかの人に影響され依存することはあるにしても、それらを含めて受け止めて死んでいくのは自分以外にはないわけです。受け止める力が感受性、それらを咀嚼し覚悟するのが心であり頭でしょう。

今、震災後の初めての夏にいる僕自身は、長い間眠っていた自分の感受性を古代の日本人のように清々しく蘇らせて更にこの年の冬と次の夏冬を過ごす間に、何らかの覚悟(分かっていることは組織に依存せずに生きて行くこと)をしなければならないだろうと思います。



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