「創る自然」 復興のニューディール


 そもそも、間々田孝夫著「消費社会のゆくえ」をアマゾンから購入したのは、アルビン・トフラーのプロシューマー論を真正面から論じているらしいことを知ったからだ。Wikipediaの「生産消費者」にその本が引用文付で紹介されていたのだ(Wikipedia恐るべし)。東大を経て立教の先生をされている間々田はトフラーの説を厳しく評価しつつも彼の真意を深く推察してアイデアの貴重さに敬意するという姿勢がとてもフェアに感じられて、二冊目(「第三の消費文化論」)も発注してしまったほどです。でも、ここでは、プロシューマーに関する論考ではなく、間々田が提示する「創る自然」にフォーカスしてみたいのです。

 間々田は、「消費社会」に関して、とてもリアルなビジョンを持っておられるようです。それが、一見、現実との乖離が小さくないこと(多分その位相でトフラーは同志なのでしょう)を涼しく見つめながら、「モノの限界」を論じ、最後は、脱物質主義の動向を見通すという構成で論述されています。

 「創る自然」は、脱物質主義的消費(例えば「守る自然」)と物質的消費(モノとサービスの売らんかな買わんかなの応酬)の動向のちょうど狭間にある一分野として、人々の「自然・環境への志向」が如何に「消費」と関係しているかを考えてみよう、との文脈の中で現れてくるのです。

 例えば広大な砂漠をそのままに保とうとするような志向を「守る自然志向」とするなら、砂漠を緑化したり、人工林をつくり遊歩道を拓いたり、護岸を再構築したり、近くに宿泊施設を作ったりするのが、「創る自然志向」だという。「創られた自然」には人がどんどん踏み込んで味わうので傷み消費される、だから、また、人の手で生産していく。公共財や普通の消費財の投入が必要になるから、消費社会と深く関係していく。

 地震津波原発事故が破壊したのは、町や村であり、人々の生活であり、そしてそれらを支えていた自然である。復興と言うとき、もちろん今は被災された方々への可及的速やかな支援が昼夜をおかない努力で進められているし、それを下支えする社会インフラの復旧が進められている。失われた自然の手当はそのあとだとして、自然の復興をどのように人々の将来の生活の豊かさ(今この言葉は悠長に響くかもしれないけれど)につなげていって、本当の復興がなされたとき、震災前よりも幸せの感覚の深い社会を築くために、この文脈をリアルに実現する意思をもって、早い段階から「創る自然」のアイデアを復興プランに織り込むことはできないものだろうか。「創る自然」は、インフラに関わる社会的消費、さらには私的消費を誘起するだろうことにも期待しながら・・・


後日追記:
上記してから2ヶ月弱の6月始め、僥倖のように立教の社会学部長の間々田先生の研究室にお邪魔することが出来ました。
池袋キャンパスは、スズカケの木の大きいけれどシャープな形の若葉で美しい、落ち着きがあって涼やかなところでした。
先生は、もの静かにいろいろお教え下さいました。また、非常に示唆深い最新の論文を頂いて、大変勉強になりました。



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